山形城で主君の白鳥十郎長久が誅殺されたのちに、最上勢と十郎に同行した白鳥勢との間に激しい乱闘が起きた。
乱闘の中、長久の遺体を守りながら山形城を抜けた谷地勢が一時隠れたと伝わる寺がある。
この寺は現在の山形市五日町にある長寿山静松禅寺である(1)。
山形城の遺構と現在の地図とを重ねた「城下町やまがた探検地図」(2)を見ると、長寿山静松禅寺寺は山形城の南方の三の丸の八日町吹張口(門)の外の、門に近い場所に位置している。山形城から逃れた谷地勢は山形城の南門から城を抜けて谷地に向かったと考えられる。
十郎の遺体は家臣の青柳隼人が最上川を使って運び出し、村山葉山の東側の山深い地区の次年子に葬られたという伝承が、次年子地区に残っている(3)。
(1)(3)平林叔子,『~白鳥十郎長久公~墳墓』,山形県北村山郡大石田町次年子圓重寺,2015
(2)「城下町やまがた探検地図」,城下町やまがた探検隊,2023
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