白鳥家と最上家とは婚姻を通じて強い結びつきがあった。
白鳥十郎長久の妻は最上義守息女。最上義光の息子義康の妻は白鳥十郎長久の息女である。つまり白鳥長久と最上義光は義兄弟であり、白鳥長久と最上義光は互いの子の義理の親である。
最上義光とその親の最上義守とが対立したとき、白鳥長久その立場から仲介者として最適だった。
伊達政宗の父の輝宗の妻も最上義守の息女で最上義光の妹の義姫である。白鳥長久と伊達輝宗は最上義守を外舅とする、同じ立場だった。 そのため白鳥長久は伊達輝宗とも良好な関係であり、最上義守と最上義光との対立のときは義守擁護の立場を取った。
また白鳥長久は最上義守の娘婿であり最上義光の息子の義康の外舅という立場から最上家の内情に通じていたと考えられる。また、最上家の内情は白鳥長久を通じて伊達輝宗のも伝わっていた可能性がある。
白鳥長久の存在は伊達輝宗にとっては重要で、逆に最上家の内情に通じる白鳥長久は最上義光にとっては油断のできぬ存在だったと考えられる。
白鳥長久は最上義光の動きにも敏感だった。もし最上と白鳥とが合戦になったときには最上義光の背後から伊達輝宗が攻めるという懸念もあり最上義光は合戦以外の方法で白鳥長久を倒す手段に出たのではないだろうか。
参考 青柳重美,「最上・白鳥両家の婚姻関係について」,山形県地域史研究,1994.2
保角里志,『山形の城と戦国世界』,高志書院,2024.8,p72-73
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